経皮的迷走神経刺激は大うつ病性障害(うつ病)のデフォルトモードネットワークを調整する
2016年に『Biological psychiatry』という医学雑誌に掲載されたうつ病に対する経皮的耳介迷走神経刺激治療(taVNS;transcutaneous auricular vagus nerve stimulation)の効果に関する論文を紹介します。
この研究は、アメリカのハーバード大学,マサチューセッツ総合病院と中国の中国中医科学院広安門医院との共同研究です。
Fang J, Rong P, Hong Y: Transcutaneous Vagus Nerve Stimulation Modulates Default Mode Network in Major Depressive Disorder. Biol Psychiatry. 79(4):266-73. 2016.
うつ病患者に4週間の継続した経皮的耳介迷走神経刺激治療(tVNS)を行い、fMRI(磁気共鳴機能画像法;functional magnetic resonance imaging)を用いて、安静時の脳神経の機能結合(FC;functional connectivity)であるデフォルトモードネットワーク(DMN;default mode network)を評価しました。
うつ病患者では、脳のデフォルトモードネットワーク(DMN)に過活動がみられることが知られています。
その結果、taVNSは、うつ病患者のDMNを調節し、うつ症状と不安感を有意に軽減したことを明らかにしています。
※デフォルトモードネットワーク( DMN;default mode network)
何らかの課題を行っている時や意識的に注意を向けている時に比べて、安静にしている時に強い脳活動が見られる脳領域のネットワーク。
内側前頭前野(MPFC),前部帯状皮質(ACC),後部帯状皮質(PCC),楔前部(Precuneus),下頭頂小葉(IPL)、外側側頭葉(LTC)、海馬体(HF)などが含まれる。
うつ病の病態にDMNの過活動あるいは抑制障害が関与し、うつ病でみられる反芻思考が強ければDMNの活動が過剰になると言われている。
目次
研究の背景
大うつ病性障害(うつ病)は世界的に見て障害の主要な原因の第4位であり、2020年には第2位なると予測されている。
迷走神経刺激療法(VNS)は、FDA (アメリカ食品医薬品局;Food and Drug Administration) にも承認されている抗うつ効果が期待できる治療抵抗性うつ病の新しい治療法である。
しかしながら迷走神経刺激療法(VNS)は外科手術が必要なため手術のリスクや副作用の可能性があるためうつ病の治療には制限がある。
迷走神経刺激療法(VNS)の欠点を克服するために、非侵襲的な迷走神経刺激療法(VNS)である経皮的迷走神経刺激療法(tVNS)が開発されている。
耳介への経皮的迷走神経刺激療法(tVNS;transcutaneous vagus nerve stimulation)の根拠としては、耳介は迷走神経が体表面に分布している人体のなかでも唯一の場所であることによる。
過去にも経皮的迷走神経刺激療法(tVNS)が、大うつ病性障害やてんかん、糖尿病予備軍の治療に用いられてきた。
大うつ病性障害には、脳回路の構造的・機能的な異常(感情処理、自己表現、報酬、ストレスなどの外部からの刺激)が関連していることが証明されている。
これらに関連している脳部位には、海馬、扁桃体、前帯状皮質、内側の前頭前皮質などがある。
また、これらの脳部位は、自己言及的処理、情動認知、感情の調節に関係している脳のネットワークであるデフォルトモードネットワーク( DMN;default mode network)に含まれている。
大うつ病性障害患者のデフォルトモードネットワーク(DMN)の機能結合が変化し、この変化と精神的症状が関連しているという研究結果がある。
例えば、大うつ病性障害患者のデフォルトモードネットワーク(DMN)と前帯状皮質の膝下野(sACC;subgenual anterior cingulate cortex)の機能結合が増加していた。
本研究では、軽度・中等度のうつ症状に対する経皮的迷走神経刺激療法(tVNS)後の安静時の機能結合(rsFC)の変化を調べる。
我々は継続的な経皮的迷走神経刺激療法(tVNS)がデフォルトモードネットワーク(DMN)の安静時機能結合(rsFC)を有意に調節し、大うつ病性障害患者の症状を軽減すると仮定している。
研究対象
49人の軽度・中等度の大うつ病性障害患者をリクルートした。
大うつ病性障害の診断には、ICD-10国際疾病分類の精神・行動の障害を用いた。
【参加基準】
①ICD-10の診断基準による軽度(2つの典型的な症状と2つの他の主要症状)、中等度(2つの典型的な症状と3つの他の主要症状)のうつエピソードを有する
②16〜70歳
③介入開始前の2週間に抗うつ薬、抗精神病薬の服用を止める
④症状がみられてから2ヵ月〜2年
研究方法
35人の大うつ病性患者を介入群とコントロール群にランダムに振り分けた。
・介入群:経皮的迷走神経刺激療法(tVNS)を受けた19人
刺激部位:迷走神経耳介枝が分布している耳甲介(auricular concha)
・コントロール群:シャム(偽)の経皮的迷走神経刺激療法(stVNS)を受けた16人
刺激部位:迷走神経耳介枝が分布していない舟状窩(superior scapha)
【刺激方法】
患者自身が電気刺激装置を操作して電気刺激を行った。
20Hzで耐えうる強さの電流(4〜6mA)を30分間流した。
1日に2回、週に最低でも5日で4週間、継続して行った。
【評価方法】
・Hamilton Depression Rating Scale (HAM-D);ハミルトンうつ病評価尺度
・Hamilton Anxiety Rating Scale (HAM-A);ハミルトン不安評価尺度
・Self-Rating Anxiety Scale (SAS);Zung自己評価式不安尺度
・Self-Rating Depression Scale (SDS);Zung自己評価式抑うつ尺度
fMRI
治療前後の安静時機能結合を独立成分分析(Independent Component Analysis)により解析
結果
うつ症状と不安感
経皮的迷走神経刺激療法(tVNS)によりハミルトンうつ病評価尺度、Zung自己評価式不安尺度、Zung自己評価式抑うつ尺度のスコアが減少した。
→ 経皮的迷走神経刺激療法(tVNS)の1ヵ月間の継続でうつ症状や不安症状が軽減した。
シャム(偽)の経皮的迷走神経刺激療法(stVNS)では、それほどの効果は見られなかった。
fMRIの結果①
デフォルトモードネットワーク(DMN)が、内側前頭前皮質(MPFC)、前帯状皮質(ACC)、楔前部(Precuneus)、後帯状皮質(PCC)、両側の頭頂葉(parietal cortex)に観察された。
シャム(偽)の経皮的迷走神経刺激療法(stVNS)を受けた患者よりも経皮的迷走神経刺激療法(tVNS)を受けた患者において、デフォルトモードネットワーク(DMN)と以下の部位における有意な機能結合の違いがみられた。
両側の紡錘状回(fusiform gyrus)、視床(thalamus)、左側の眼窩前頭皮質(orbital prefrontal cortex ;OPFC)、楔前部(Precuneus)、側頭頭頂接合部(temporoparietal junction)、右側の上前頭前皮質(superior prefrontal cortex)、背外側前頭前野(dorsal lateral prefrontal cortex;DLPFC)、中側頭回(middle temporal gyrus)、海馬傍回(parahippocampus)
fMRIの結果②
赤の脳領域(図の上段)は、経皮的迷走神経刺激療法(tVNS)によってデフォルトモードネットワーク(DMN)との機能結合が有意に減少した。
緑の脳領域(図の下段)は、デフォルトモードネットワーク(DMN)との機能結合の変化とハミルトンうつ病評価尺度(HAMD)のスコアの変化と正(ポジティブ)の相関がみられた。(dACC: dorsal anterior cingulate cortex; Ins: insula; PH: parahippocampus)
fMRIの結果③
黄色の脳領域は、経皮的迷走神経刺激療法(tVNS)によってデフォルトモードネットワーク(DMN)との機能結合が有意に増加した。
青の脳領域は、デフォルトモードネットワーク(DMN)との機能結合の変化とハミルトンうつ病評価尺度(HAMD)のスコアの変化と負(ネガティブ)の相関がみられた。(Precu: precuneus; OPFC: orbitoprefrontal cortex)
考察
シャム(偽)の経皮的迷走神経刺激療法(stVNS)よりも経皮的迷走神経刺激療法(tVNS)の方が、ハミルトンうつ病評価尺度(HAMD)や他の評価尺度のスコアを有意に減少させた。
さらに経皮的迷走神経刺激療法(tVNS)が、情動と感情に関係している脳部位における安静時のデフォルトモードネットワーク(DMN)の機能連結を調整できることがわかった。
デフォルトモードネットワーク(DMN)における安静時機能結合の変化が、大うつ病性障害の重症度の変化と有意に関連していたことから、経皮的迷走神経刺激療法(tVNS)は、デフォルトモードネットワーク(DMN)の機能連結を調整することで治療効果を発揮すると考えられる。
迷走神経刺激の抗うつ効果は、気分や不安感を調節している脳部位(扁桃体、視床下部、島、視床、眼窩前頭皮質、他の辺縁系など)へ直接的・間接的に連絡している弧束核(NTS;nucleus tractus solitaries)への迷走神経の求心性線維の投射によるものと考えられている。
興味深いことにこれらの脳部位のいくつかは大うつ病性障害の病因と寛解に関係していると言われている。
また、迷走神経刺激療法(VNS)は、大うつ病性障害(うつ病)の病因と関連しているセロトニンやノルアドレナリン、GABA、グルタミン酸などの神経伝達物質を変化させることができることが臨床・基礎研究で証明されている。
我々の研究においても経皮的迷走神経刺激療法(tVNS)の1ヵ月後にデフォルトモード・ネットワーク(DMN)と右側の島の前部、海馬傍回との機能結合の有意な減少が見られた。
島の前部は、外部や内部からの顕著性刺激やイベントの検出や方向づけに関係するサリエンス(顕著性)ネットワークに属している。
本研究では、前帯状皮質の吻側部(rACC)・前頭前皮質内側部(MPFC)とデフォルトモードネットワーク(DMN)との機能結合の増加がうつの重症度の軽減と関連していた。
これらの結果は、前帯状皮質の吻側部(rACC)と前頭前皮質内側部(MPFC)が大うつ病性障害(うつ病)の治療に重要な役割をはたしているという仮説を支持するものである。
興味深いことに、今回の研究でデフォルトモードネットワーク(DMN)と海馬傍回や前帯状皮質、中側頭部などの脳部位との機能結合の有意な変化が観察された。
これらの結果は、経皮的迷走神経刺激療法(tVNS)の調節が1つの特定の部位をターゲットとしているのではなく、感情や行動を調節している脳のネットワークに作用することができることを示唆している。
今回の我々の研究において、経皮的迷走神経刺激療法(tVNS)後にデフォルトモードネットワーク(DMN)と迷走神経刺激(VNS)の神経経路、気分の調節の鍵となる脳部位との間の機能結合が有意に調節されることを証明した。
結論
経皮的迷走神経刺激療法(tVNS)は、うつ症状の重症度を軽減できることがわかった。
経皮的迷走神経刺激療法(tVNS)後に、感情を調節している脳部位のデフォルトモードネットワーク(DMN)の機能結合が有意に変化した。
いくつかの機能結合の変化は、大うつ病性障害(うつ病)患者のうつ症状の重症度の変化と関連していた。